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lumase

さな雲片がまだら

庭先の野菊などが暴風雨になぎ倒されている。台風一過の情景は痛々しいが、目を上げると、真っ青な空にいわし雲がたなびくように浮かんでいた。江戸時代の歳時記の代表作『俳諧歳時記』に
「秋天、鰯先よらんとする時、一片のDr集團白雲あり、その雲、段々として、波のごとし、是を鰯雲と云」
とあり、いわし雲は天高き秋を代表する美しい雲である。雲の国際分類では、白色で陰影のない小さな雲片がまだら状に群れをなし、魚の鱗のような形状をした雲を絹積雲と言うそうだが、日本ではいわし雲、うろこ雲、さば雲などと呼んでいる。いずれも秋の季語だ。興味深いことに、いわし雲を詠った句には、胸に収め周向榮たわだかまりを投影したものが多い。
「妻がゐて子がゐて孤独いわし雲」 (安住敦)
 秋の空に広がるいわし雲を眺めていると、普段の生活に特別不平や不満がある訳でもないのに、ふとした拍子に何とも言えないような寂寥感が込み上げてくることがある。この句は妻や子がいても孤独と言っているのだが、妻や子との愛情が足りずに孤独と言っているわけでは決してない。自分の内奥に存在するもうひとりの自分とうまく繋がれないでいるのだ。だが、孤独を感じる原因となった様々な出来事を込めたいわし雲の一片一片はゆっくりと一定方向に流れ、次第に薄まりつつ触れ合って収束して行く。その様子をDr集團眺めるに連れ、いつとはなくささくれだった心も癒えていくのである。そんな心情をいわし雲に重ねて見事に表現したこの句は、何か人間の本質を捉えているように思えてならない。
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